2017/04/20

遠くに行くと私は必ず実家に手紙を送る。お土産を送ることもあるけれど、海外から物を送るのはなんだか面倒そうだからまだやったことがない。

郵便局に入り、一番手前の係員さんに「エアメールを送りたい、まだ書いてないので今ここで書く」とごねてみると、A4の紙と封筒を渡してくれた。居合わせたお客さんのサポートを受け、筆談も交えながら何とか発送に成功。面倒くさそうにしていた係員さんも、手を合わせると「良かったね」と言うように微笑んでくれた。

屋台で「私も何か食べたい」とおばちゃんに言うと麺を見せてきた。それでいい、と頼み出てきた麺のおいしいことおいしいこと。がんばってわがままを言ってよかった。手を合わせて帰る。

台北に行ったときもそうだった。初めはまごまごしてばかりだったけれど、だんだん平気で「コップンカー」と言えるようになった。何かにつけて口をついて出る。最初に覚えるのは感謝の言葉なのだなあ。必要だからだろうな。

ムエタイも見てみたかったけれど、入場料が高そうだったのでサッカーに変更。何となく、タイといえばサッカーかなと思って。試合はといえばキックオフから劣勢で、ロスタイムにまでとどめを刺されて0-3で完敗。助っ人外国人と思われる選手が軒並み棒立ちで、そりゃあ負けるわ、と思った。おもしろかった。

バンコクは水運が発達していて、渡船が普通に使われている。とても安く、また川が好きな私には願ってもない眺めだったので何度も乗った。渡船場では猫を飼っていたのだけれど、カゴの中の猫はうだるような暑さにうんざりしてもっぱら寝ていた。こんなにだらしのない猫は初めて見た。

犬はといえば、件のサッカースタジアムで試合中のフィールドに乗り込んできてひょこひょこ楽しそうに走り回っていた。ひとしきり走って疲れたのか、突然座り込んだところを係員に捕まって連れ出されていた。

チェックアウトしたのにうっかり鍵を持ってきてしまったので慌てて返しに行く。帰りにGuangには会えなかったけれど、どこかへ出掛ようとしているママに会うことができた。よく眠れたか、食事は口に合うか、飲料水は足りているかと気にかけてくれたママ。また会いに来るね、と抱き合って別れた。

たった数日で、バンコクは私の大切な街になった。きっとまた来よう。来る。

2017/04/19

羽田を出発するとき、外で働いていた人たちが作業を止めて私たちの飛行機に手を振っていた。毎日振っているのだろうか。そうしろと言われているのかもしれないけれど、私はうれしかった。

バンコクには横断歩道なんてあってないようなもので、びゅんびゅん走る自動車とバイクの隙間を見つけて道を渡るほかなかった。あれでよくみんなはねられないな。

タイはとにかく文字が読めなかった。バンコクだから英語で乗り切れたけれど。だからこそ知ろう、伝えようとする筋肉をたくさん使った。自分は何がしたいか、何て言えば願いが叶うかすごく考えた。いつも使わない筋肉だな、と思った。日本に帰ったらまた衰えてしまいそうな気がする。ちょっと怖い。

泊めてくれたGuangは日本が大好きな青年で、ココリコ黄金伝説の1000円節約生活とか、行列が出来る店横断旅みたいなやつとか、とてもよく知っていた。「スゴイジャパン」という番組があるらしく、千葉や奈良のことまで知っていて、「鹿に餌あげたい」とはしゃいでいた。

日本は四季があって美しいから好きだ、と言っていた。そうか、タイには四季がないのか。当たり前に触れているものの良さを私は全然自覚できていなかったのだと気付いた。何も知らない、なーんにも。離れてみて、初めて知る。

バンコクの名所やルートをエピソード付きでたくさん教えてくれた。一度に覚えきれないぐらいたくさん。その話のひとつひとつに私は怖がったり感動したりした。すべて見てみたいと思ったけれど、あまりにも時間が足りなかったのと、初めに行ったエメラルド寺院の人の多さに驚いて退散してしまった。今度来たら、きっと続きを。

エメラルド寺院はたくさんの宝石で覆われた大きな建物が陽の光を浴びてきらきらしているのがとにかくきれいで、ひとりで「わああ」と声を上げた。

本堂に入るとタイ人専用のレーンがあって、五体投地と言うのだっけ、額を地につけて祈りを捧げていた。人がまっすぐに思いを捧げる姿はとても美しく、私はしばらく彼らに見入ってしまった。

しかしエメラルド寺院の周りのお店、俗っぽさにはちょっとだけ笑ってしまった。ノーディスカウント、フィックス◯バーツ。どこの国も変わらない。

2017/04/18

おじさまに別れを告げ、ハノイからはひとり。バンコクの友達に連絡すると、ソンクラン明けで今週は忙しいらしい。おおっと。

一方、私のドジを心配した友人が日本から現地の人に支援を頼んでくれたとの報せ。ああ、申し訳ない。とりあえず現地の人に会いに行くことにする。

さて、あとは何をしようかしら。予定は一切ない。

飛行機では窓際が好き。田んぼが青々としている。いつか空から見た熊本の景色に似ている。

いわし雲のような雲を下に見下ろす。雲の裏側を見るのは不思議な感じ。バックステージに立っているような気分になる。雲の上の空は青くてまぶしい。きらきらしている。雲の下にいる人たちはこの景色を見ることがない。

窓際の席の欠点は、通路に遠いことだ。隣に座ったおばさんに配膳を下げてもらう。タイ人だろうか、英語は話せないようだったが、「Thank you」と言うとニコニコとして両手を包んで握手してくれた。感謝しているのはこっちなのに、私よりもうれしそうにしている。素敵。

無事にタイに着いた。ひとまず、友人が声をかけてくれた現地の人に無心しに行く。電車を乗り継ぐ。外は夏の日差しだが、思ったほど暑くない気がする。湿度の違いなのだろうか。色の濃いコンクリートの上をたくさんのバイクとカラフルなタクシーが走っていく。

今、タイに来ている。久しぶりにひとりぼっちを体感している。

2017/04/17

久しぶりの一人旅。年初めに財布を失くして以来、カード類を財布と別管理にしていたせいで、まんまと全部忘れる。キャッシュカードもクレジットカードもない。取りに帰る時間もない。

頼みは財布の中身だけ。昨日多めにお金を下ろしててよかった。そしてさっきラーメン食べるんじゃなかった。早くも波乱の予感。

羽田発、ハノイ乗り換えバンコク行き。ハノイに向かう飛行機で期せずして隣のおじさんと酒盛り。

定年まで日本の大手製造会社に従事していたけれど、老親介護のために奥様の故郷であるラオスへ移住したというおじさん。私が飲めると分かるや否や上機嫌になる。

手相を見るだのマッサージをするだの理由をつけて触ってくるけれどかわいいものだったので黙っておく。ブログで晒すだけにしておいてやろう。

旅慣れているらしく、ハノイの空港でミールチケットをくれと係員に粘る。恥ずかしいなーと思いながらもタダ飯の恩恵に預かり満足。

「30年日本でがんばってくれたからね」奥様のために還暦過ぎて海外移住とはなんて優しいのだろう。思い合う家族っていいなあ。

2017/04/09

会社の同期と、元同僚と、一泊二日の国内旅行。同期の3人組は10年間一緒に過ごしたけれど、この春ついにばらばらになる。元同僚は結婚するそうだ。

仲が悪いわけでもないけれど、4人でベタベタするでもなく、それぞれ好き勝手な方向を見て楽しんでいる。

もうこんな旅行もないのだろうな、と何となく思う。実感はないけれど。実感どころか感傷もない。ばらばらに歩くんだと思う。

それでもたまに思い出すのかもしれない。宝塚メイクごっこをして遊んだ夜を。春雨に濡れた満開の桜を。まだ先の話。

今は帰りの飛行機の中でGLAYを聴いている。

2017/03/29

思いつきで、日記の形式を変えてみた。日記は日記らしく、あった事実や思ったことをなるべく脚色少なく書き残すのが良いのではないかと考えたため。

更新していかなくてはいけない。更新するというのは同じような塗り重ねで装いだけを変えることではなくて、今の自分が正しい・面白いと思うことを全面的に肯定し、これまでの積み重ねにとらわれず一番上に乗せること。

違うな、と思ったら戻せばいいや。

お昼。たぶん最後の相駒。相駒は会社近くのお弁当屋さんで、魚系の食材が多いからよく来た。渋谷のごはん屋さんにはまた来るかもしれないけど、オフィス街のお弁当屋さんにはたぶんもう来ない。

辛塩鮭は今日も辛かった。おばちゃんがお釣りを間違えたけど黙って帰ってきた。ちょっと悪いやつになったな、と思う。

ちなみに、相駒が入ってるビルの名前はアイコマースビル。それらしい名前にしているけれど、どっちかは薄っぺらい語源なんだろうな、と想像がつく。弁当屋が先か、ビルが先か、いつも気になっていたけれどたぶんお蔵入り。

今日は財布を忘れた。昨日帰るなり倒れ込んでそのまま寝ちゃったせいだな。だから部屋が散らかる。駅まであと1ブロックというところで思い出したから、もう諦めた。幸いにもかばんには先日のギャラが入っていた。それを握り締めて、私が店を段取った私の送別会の会計をする。何だそりゃ。

こういう、なし崩しのギャラの使い方はよくない。しょうがない、全部しょうがないけど。

2017/03/24

興味本位で知らない人の闘病日記なんて読むもんじゃなかった。その人が亡くなった今、そこまでではないショックを受けている。

そこまでではない、というのは、名前も知らない人の死よりはずっとショックだけど、言葉を交わした仲間内の死よりはショックじゃない、という感じ。ショックなんだけど、「何に対してショックなんだっけ」という行き場のなさが私を空回りさせる。

そうか、うちのお父さんの誕生日に亡くなったのか。お父さんにメールもしなかったな。Facebookには書いたけど、見てくれたかな。

趣味が悪い、まだ闘病日記を開いている。亡くなる3日ほどに最後の日記が更新されているのを見つけた。演出家で台本や原稿にもたくさん触れてきたであろう彼がものすごい数の誤字を連発していて、少し動揺する。意識が朦朧としているのだろう。想像に絶する。

乾ききっている、と繰り返す彼が「生命とは潤いだったのかもしれない」と誤字なく記した。だった、か。私が潤いを求め続けることはつまりそういうことなのか、と合点がいった。

実家に帰って一度話をしたほうがいいな。誰かと一緒に暮らしたほうが生活は豊かになるのだろうか。金銭的にはどうか、心身的にはどうか。死のこととこれから生きていくためのこと。なぜか同時進行で考えている。

死といえば、花見の約束をした。この連想間違ってないよね。

今年は花見ができるだろうか。