絵馬と恋文

出久根達郎、という随筆家がいる。吉野弘先生のお目にかかることが叶わなかった今、もっともお会いしたい方かもしれない。

彼の随筆集に『最後の恋文』という本がある。私は2005年に出たその本と出会って1年ちょっとしか経たないけれど、図書館で見かけるたびに何度も何度も借りている。どの随筆も短く軽い。語り口が軽いのではなく、題材がとても軽いところが素晴らしい。小津映画とか、刑事ドラマでよくある「行きつけの小料理屋」での会話。あれぐらいの軽さを感じる。

『最後の恋文』ばかり借りるのは、オムニバスになっている随筆のうち、書名にもなった「最後の恋文」が好きだからだ。あらすじを知っているのに、結末だって読めているのに、あの感動を何度も味わいたくて繰り返し読む。時間がないときは「最後の恋文」だけ読んで返す。

詩人・中桐雅夫いわく「新年は、死んだ人をしのぶためにある」という。年賀状を書こうと一年前のそれを見返すと、この一年で鬼籍に入られた人々を改めて確認することになる。届かぬ年賀状、届く寒中見舞い。年の瀬に伴侶を亡くした女性の元へ、見たこともない筆跡の、差出人の名前もない年賀状が届く。という内容。突飛なオチはないけれど、何度読んでもこみ上げるものがある。

彼のような物書きに憧れる。彼の生き様はどのようなものだろう。どのような瞳と、どのような手でこの本を書き上げたのだろう。

私は、とうとう書くことを稼業として看板を掲げた。願いが通じたな、と思う。小学校来の親友とはるばる川崎大師様まで厄落としに出掛けたのは昨年か、一昨年だったろうか。絵馬に願いを掛けたこと、ほんの数日前まで忘れていた。こんなにも転覆しかけの小舟だが、形はどうあれ、書いたとおりの現在が手元にある。

細々とで構わない。大成することなど求めないから、書き続けていきたい。書き続けていれば、いつか憧れの氏の影ぐらいは見留めることができるだろうか。

絵馬の代わりに、まずはここに記す。

憂慮

私はこんなに私のことが大好きなのに、私のことを全然大事にしていないな、と思いました。

ごはんを食べるためには稼がなくてはならない。今は仕事を選んでいる場合じゃない、声をかけてくれただけでも感謝しなきゃ。

そんな考えはもうやめよう。買っていただくのではなく、売っていかなくちゃだめだ。今の私は、私の価値を粗末にして、私に価値を見出してくれている人をがっかりさせている。

それに、たぶんだけど、このままいくと大好きな他人までも大事にしなくなってしまうのではないか。だって、大好きだと思っている自分をこれだけ粗末に扱っているんだもの。自分のことのように大事な人をこんなふうに扱っちゃいけない。おお、考えただけでぞっとする。

これは由々しき事態です。そんなことを考えて、お腹がしくしく痛むのをやり過ごしながら次の打ち合わせに向かっています。

* * *

オロオロと情けないことばかり考えていたら、乗り継ぎ精算ではなく下車精算をしていたようで、地下鉄の回数券を1枚ムダにしてしまいました。情けないなあ。

* * *

寝不足と疲れで燃え尽きていたら、カイロとお味噌汁の素を頂きました。大切に使おう。

2時間半の仮眠で随分と元気になったと報告すると「良かった」と言われて、「良かった」ってこんなにいい言葉だったっけ、と思いました。いやはや大変情けないところをお見せした。私は立場なくはにかむばかりでした。

一年後、十年後

去年のブログを読み返してみて、びっくり。暗いなあ。自覚はなかったのですが。

書くタイミングがとれなくなって、それでも書いていたのは「書きでもしないとやってられない」という日ばかり過ごしていたのだと思います。今は忍耐の期間、これを乗り越えると楽しいところへ行けるはずだ。そう己に言い聞かせていた記憶があります。

そんなに押さえつけて、潰れたあんパンのように中の黒いものが出てきたのでしょう。それは何のトレーニングにもならない。

もっと能動的に、世界への好奇心を。文章への探究心を。

* * *

好きな居酒屋に、気の置けない友達と。あいつは気持ちいいほどに友達なのだよなあ。大人になってから知り合ったのに、幼なじみというか、まるでクラスメイトのような。

「で、いつ結婚すんの」「したよ?」「言えよ」「言わなかったっけ、お前には言ったと思ってた」

誰かれ構わず言うものでもないから、というあいつに「言ったと思っていた」と言われるのは悪い気がしませんでした。そういうやつを生涯の友として生きたい。肩を組んで酒を飲むには最高の肴です。

梅が咲き始めましたね。

焦燥

落ち込んでいるだろうか。こういうリスクを含めて話をしていればよかった。無神経に期待を煽ってしまったかな。

そんな、考えても仕方のないことを考えています。

私に何ができるだろう。動じず、次のことを考えて動くのみか。ふむ。

* * *

宿題が山積みで気が滅入るので、カレーを食べました。何ということもないレトルトの延長みたいなカレーでしたが(違ったらごめんなさい)、それでも少し気持ちがしゃんとしました。カレーはいいな。

* * *

ただの客としてライブハウスに行ったのはとても久しぶりのような気がしました。不思議だなあ、全然違う場所みたいだ。目が回るほど頭を揺らしました。早く忘れたいこともあるけれど、忘れたくないことも忘れられないこともあるので、また来たいなと思いました。

* * *

なかなか文章をまとめる感覚を取り戻せなくて少し焦っています。もどかしい。もう少し続けてみようか。

偏向

ブログのタイトルを戻しました。どうでもいいことなんだけど。別に誰かに言われたとか、何があったとかいうわけでもないし。

ただ、合ってないなあ、前のが良かったなあ、と思っていたので。

* * *

ブログを書きたい、と思っております。

書き物に携わる仕事をぽつりぽつりと頂くようになって、もっと研鑽が必要だと思ったのです。そう思える仕事がある今は、とてもありがたいです。

一方で、がんばれていない、期待に添えていない場面もたくさんあります。何人かに言われた「君は楽しいこと、好きなことしかしない」ということ。そんなことない、と咄嗟に反論しようとしていましたが、たぶんそれは真実であり性なのだと思います。だとしたら、もしそうなのだとしたら、楽しいこと、好きなことだけを引き受けるしかない。今の目標は「好きじゃない仕事をなくす」ことです。なくしても食べていけるようにしたい。

* * *

大切な友人の復縁を残念がったり、ご家族の不調が長引かないかと密かに願ったり、あの意地の悪い私はどこから来るのでしょう。

まるで漫画のように私の中の天使と悪魔が現れて、悪魔の呪詛を天使がいかんいかんと回収していく。それでも呪詛のほうが若干強くて、誰彼構わず毒をばらまく。黙っていればいいのに、呪詛が口をついて出てきたときなんかは最悪です。自分で自分が嫌になります。

睡眠不足のせいでしょうか。言いたくないけど、時間が足りない。

* * *

昨日会った職人さんは今後挑戦してみたいことに「家庭を持つこと」と言っていました。「帰るところ、拠りどころがあると作るものも変わるんじゃないかなって」とのことでした。あの場面は忘れられないな。

* * *

もっと自分のわがままを押し通していきたいと思っています。バランサーに徹するのではなく、愛情に偏りを持たせていきたい。

以上です。

リセット

「吉澤」って名字好きなんです。
吉は幸運でしょ、澤は水の流れ。A lucky stream、みたいなことかな。一方で吉はすなわち葦(ヨシ/アシともいう)なわけで、葦の生い茂る川辺にルーツがあるんだろうな、我が家は移民のくせに原風景は名前に忠実だな、とか川を見ながら思ってます。
私が大学に入った年に我が生家は取り壊しまして、今は印旛沼のほとりに居を構える両親のもとへ新年の挨拶をしてきました。24時間もいなかったけど。他愛のない冗談と、それを無視して見るテレビの贅沢さ。帰り際に見せる寂しそうな父母の笑顔。また時間見つけて帰るから、と口約束ばかりでごめん。
印旛沼は私の故郷じゃないけれど、利根川にも似た風景が広がっていて少し安心しました。
帰ったは帰ったけれど、やっぱり言えなかったなあ。働いていた会社を辞めるんです、私。リストラクチャリング。
これを機に自由業として、ひとところに所属せず、求められる所に赴くかたちで生きてみようかなと考えています。私は必要とされたい。居場所が欲しいんだよ。居場所を見つけるために独りになる、というのは一見矛盾しているように感じるかもしれないけれど、私にとってはわりと納得のいくことでもあります。

生温かい孤独

ざこ寝の記憶をときどき思い出す。大抵そんなのは宴が過ぎて泥酔した夜と相場が決まっていて、明け方の薄明るくなってきた頃にたった一人目を覚ますのだった。

しようと思ってもできない早起き。こういう時に限っては二度寝をしようという気にもならないほどシャッキリ目覚める。ひとり静かに目をパチクリさせながら天井を見つめる。はて、私は何をしていたんだっけ。

部屋の電気は消えているけれど、東向きの窓から光が射し込んでくる。気の早い鳥が電線に止まって鳴いている。それを、カーテンの閉まった薄暗い部屋の奥で聞いている。

眠っている人を見る。寝相がすごいので布団をかけ直してみたり、さっきまであんなに騒いでいたのに静かなものだなあと感心してみたりする。耳を澄まして寝息を聞いてみると、普段の呼吸との違いに気がつく。面白い。こんなことも本人は知らないのだろう。

夜と朝の間にだけ存在する、生温かい孤独。すべての世界からこの一部屋だけ遮断されたような感覚に陥る。唯一のノイズである寝返りを打つ衣擦れの音が、通勤ラッシュの電車とはまったく別の世界線を示している。携帯を見るも、タイムラインは何度リロードしたって新しい投稿を見せてくれない。それでも誰かに会えないかと期待して、繰り返しリロードを押す。繰り返し。

気がつくと眠っていた。周りでカサカサと音がして、何人かがもう起き始めているのだと気付かされる。孤独な時間はもうそこにはない。私はあたかも今はじめて目を覚ましたかのように眠たいそぶりを見せ、朝に合流する。