2017/03/19

バンコクからLINEが届く。バンコク、行こうかな、と思う。

バンコクに行くための旅程を組む。具体的には、バンコクへの航空券を予約する。何日滞在すればちょうどいいのか、どの日程ならすべてが思い通りに進むか悩む。

2泊か3泊が望ましいらしい。お金がないので2泊。

さあ出てきた、「お金が」問題。一番お安いのはいつか血眼で探す。余裕がなくなる。

そうだ、昨日もらった仕事は「1時間以内に返信すること」がルールだった。できるだろうか。そして引き受けてさっそく何泊も家を空けるので対応できませんなどと言ってよいものか。昨日会ったばかりの人にわがままを持ちかけるのは憚られたが、今後長い付き合いを目指すならこんなことでまごまごしていられない、ええいままよ、と投げる。LINEで。

なんということはなく、事前連絡をもらえればいい、他の面々もみなそうしている、という。まあそうか。拍子抜けと安堵。

緊張しながら英語のメール。いくらフランクでもこんなのでいいのかしら。中学レベルの英語を必死につなぐ。

付き合いで飲みに行く。笑ってばかりで何も言わない私はいても仕方がないのではないか、と片隅の迷いが拭えない。それでも笑う。爆笑する。

しまった、財布にお金がない。やむなく会計を引き受け、カードを切る。カードは手元にお金がなくても切れる。これは本当に危険だな、と思う。みんなから集めた15,000円が手元に余る。余っているわけじゃあ、ない。

私はこれからどうやって生きていくつもりなのか。焦るばかりで、これは意味がない悩みだ。泣きつきたかったけど、酔っているので深刻になれない。涙も出ない。

電車に乗る前にお手洗いに行く。元々薄かったメイクが、擦り切れてもはや残ってない。直そうにもどこから直すべきか。諦めた。

帰ったら火曜日のプレゼンの準備もある。

「どうした、何かあったの」「ぶっきらぼうになった」と言われた。受けた言葉に私の変化があらわれている。変化に、自分では気付けない。自分に必要なものが分かったから、だから私は変わったんだなあ、たぶん。それは、自分しか気付けない。

それにしても、なーにしてんだろ。本当に。口を開くと、それしか出てこない。

one hour far

いちじかん。何があっても、いちじかん。

私の家は職場まで一時間かかります。街に出るにも、誰かと会うにも、だいたい一時間。

私は、それがいいと思っています。

昔は歩いて20分、自転車なら10分切るぐらいの街に住んでいました。いい街でした、とても便利な街でした。遅くまでお店もやっているし、何でも手に入るし、どこでもすぐに行けました。

今思うと、それは私にはあまり良いことではなかった。諦めがつかないからです。

根が田舎者だからでしょうか、手に入るものは逃さず手に入れようとしてしまいます。今すぐに、すべて、必ず。諦めること、立ち止まることができなくなって、しまいに私は足がもつれました。

田舎の暮らしは不便ですが呑気なものです。急がなきゃ、あれもこれも必要だ、そうは言っても「何があってもいちじかん」なのですからどうしようもない。諦めるほか、我慢するほかない場面もままあります。我を忘れてまで目の前のものを追ってしまう私には、不便こそ必要なのかもしれません。

今、ちょうど諦めて電車を待ちながら豆乳を飲んでいたところです。昨日よりは幾分良い天気で、子どもが母に手を引かれて跳ね歩いていました。出社したらそんなもの見ていられませんから、私はストローをくわえたまましばらく横目で眺めていました。

mountain view

「遠くのほうには山が見えるんですよ、向こうのイチマルキューの先、渋谷なのに」

ああ本当だ。尾根が見えました、渋谷なのに。大きなネオンサインや液晶ビジョンを立てまくってアイドルの顔をばんばん出しているわりに、その向こうには尾根。そのバランスが滑稽で、渋谷も人が暮らす集落なのだ、と当たり前のことを思いました。

駅の中も、向こうの交差点も見えるのが奇妙でした。ホームでキョロキョロしている人が、往来で肩をぶつけられよろけた人の怒りが、スクランブル交差点を揉め事ひとつ起こさずに好きな方向へ歩く一人一人が、高層ビルの8階からはすべて見えました。

「ここにいると、人間のすべてが見えるんです」私より5つほども若そうな女性は窓の外に目を向けたまま言いました。この窓から彼女は一体何を見たのだろう、と少し怯えました。

pray

願掛けや神頼みというものを積極的にしなくなったのはいつからだったでしょう。そのとおりにいかなかったときのがっかりや不満を味わいたくなくて止めました。おみくじも引きません。だいたい、10円や100円でそんな大層な頼みを聞いてもらおうというのは虫の良すぎる話なのです。参詣は、日頃のお礼を言いに行く場です。

でも、昨日ばかりはお願い事を言いました。叶えてくれなくてもいいです。ただ聞き手になってほしかっただけだから。このまま黙っていると重みで折れてしまいそうだから。

手を合わせ、目を閉じてお願い事を言いました。少し、ほんの少しだけ、身体が軽くなった気がしました。聞いてくれてありがとう。

白梅がよく咲いていました。

suspect

ああ、やってしまった。財布を失くしてしまいました。歯医者さんで診察券を財布から出し慌てて歯を磨く間に、携帯で打ちかけていたメッセージを気にしながら先生の呼び出しに答える間に、「私って忍耐強いほうなんじゃないか」などと口を開けて自惚れている間に、財布を失くしてしまいました。

いやあ、間が抜けているんだ、私ったら。診療費をツケにしてもらい、さらには後から来た待合室の患者さんにも探すのを手伝ってもらいました。いい大人が、大変お恥ずかしい。看護師さんが「お金貸しましょうか」と言ってくださったご厚意はお気持ちだけ頂いてお断りしました。いやいや、さすがに。

歯医者さんに重ね重ね頭を下げて、見失った財布のことは一旦諦めることにしました。

私の幸薄い財布のことです、現金よりレシートのほうが多かったぐらいですから、財布を失ったことなんて大したことではないのです。ただ、先生や居合わせた方々に後味の悪い思いをさせてしまったこと、否応にも当事者に疑いの目を向けざるを得ない場を作ってしまったことのほうが、私にはひたすら悲しく申し訳なく思えました。

だって、嫌じゃんね。人を信用できないことって。

一切のクレジットカードやキャッシュカードを止めた今、私は実家へ向かう電車に揺られています。恥を忍んで金を無心しに行くわけですが、その実は「人を疑いの目で見てはいけない」と教えてくれた両親にひと目会いたかったのかもしれません。会って、どぶにでも落としたんだろう!しょうがないな!と笑い飛ばしてほしかったのかもしれません。

ああ、そうこうしているうちにまたやってしまった。今度は乗り換えを間違えて、降りるはずのなかった駅に取り残されています。いよいよこれは本当に間が抜けているだけなのかもしれません。しょうがないな!

ups and downs

心の起伏、という発言がありました。ある聞き手はそれをいわゆる「感情の起伏」と捉えているようでしたが、それは取り違いだ、と思いました。

何気なく触れたもの、接したことに対して半ば無意識的に表れる微弱電流のことだと私は解釈しました。たとえば体温が0.1℃上がる程度のうれしさ、肩がすとんと落ちるような安心感、むずっとするぐらいの不快感。など。

そのような人間の心の起伏に気付けるかどうか。心の起伏を大切にするのがよい、それは自分に対しても他人に対してもそうだ。起伏を引き起こした物事や行いを逃さず見つめ、小さなチューニングを重ねることが黄金律をつくる。あなた一個人の中にも、誰かとの対話の中にも。

その発言をまじまじと聞き入る間、私は自分の目がほんの少し潤むのを感じました。まさにこれが心の起伏なのだろう、と思い、ここにその出来事を書き残した次第です。

nerve

「数日は神経の傷というか、1日2日痛むかもしれないんで、そのときは鎮痛剤を飲んでくださいね」
虫歯をひどくして、とうとう神経を抜きました。医師の間では「抜髄」と言うようです。

選択権を与えられたのです。「どうします?痛い?」先週虫歯を削って埋めてもらったのは良かったものの、数日おいてひどく痛むようになりました。週末には北国へ行ったので、寒さもまた相まってシクシクと痛み、一時はそのことしか考えられないほどでした。偏頭痛のため常備していた鎮痛剤にすがったこの数日を思い返し、「神経抜いてください」と先生に頼みました。

一応迷うような顔をしましたが、本当は初めから決めていました。痛い思いをするぐらいなら、神経なんかパッと麻酔を打って引っこ抜いてしまえばいい。何を迷うのか。幼い頃から虫歯は慣れっこ、神経も何度か抜いたことのある私ですから尚更のことでした。

神経の傷。その言葉を聞いたところで、ようやく少し気付きました。そうだよね、自分の無用心で身体の一部を切断するということなんだよねえ。しかも、私たちを人間たらしめて、動物たらしめているのは、今軽い気持ちで抜いてもらった神経なのだよねえ。

髄を抜くから、抜髄。やっぱり髄は本来抜いちゃいけないもののように思います。