適当に乗れば良いものを

勤めている串揚げ屋の女将さんに『サッカー、観なかった感じすか』と聞かれて「そうっ、すねえ、そっすねえ、観なかったっすねえ」と答えた。

『え、オリンピックとかも観ない派?』「あー、観ないかも」『まじすか!観ないんだ!』「だってその時だけ観ても乗れないし。名前とか覚えられないですもん」『あー……』

会話が終わってしまった。ごめん、女将さん(女将さんは私より2歳若い)。

時代に適当に乗るのがとても苦手だ。重く捉えず、何となくスター選手だけ覚えて右に倣えで応援すればいいのに、それがなかなかできない。なまじ本気で応援しようとして、覚えるべきことの多さに愕然とする。ヒートアップに時間がかかる元来の鈍臭さと、流行に乗ろうともがいている自分が恥ずかしいという変なプライドで、結局は「私、そういうのいいんで!」といった僻みのような突き放し方をしてしまう。ダサい。全体的にダサい自覚はあるけれど、私は特にそういう性格の面が飛び抜けてダサい。

女将さんはそういうのも器用にこなせそうだなあ、と、女将さんに羨望の眼差しを送る。彼女はもうさっきの会話など早々に見切りをつけて串の仕込みをこなしている。よそ見をしている間に、私は揚げ物を1個こぼしてしまった。やべ。

サッカー、好きだけど鹿島の選手以外は日本に帰ればみんな敵だし、素直に応援できないんだよなあ……などと面倒なことを言っているうちはダサさを脱出できないだろう。女将さんのようにはなれないし、オリンピックも観ないし、揚げ物は1個こぼす。今度から1個多めに揚げておいたほうがいいかもしれない。

見てやしない

書く仕事をしていなかった頃にこれでもかと毎日書いていたわり、書く仕事を始めてから書かなくなった。それは、主観的には「まあそうだよね」という事柄なのだけれど(だって否が応でも書かなくてはならない環境なんだもの)、客観的には「いやダメでしょ」と言わざるを得ない。書きなさいよあなた。

と、再認識してしまった自営業者同士の会食。人と会うこと、話すことはいつだって面倒で疲れるけれど実りが多い(逆にひとりでいることは心底楽だけれど何ひとつ生み出さない)。

トレーニングのために書くとか、目的のある何かを己に課すというのは根性なしの私にはもっとも苦手なことのひとつなんだよなあ……。

とはいえ、気付いてしまった以上はやってみようと思う。書くことが日常だった頃のアンテナを、思考回路を、反射神経を取り戻そう。そしてそれを、恥を忍んで白日の下に晒そうじゃないか。

大丈夫、どうせ誰も見てやしない。

震える肩

アラームも鳴ったことだしそろそろ起きるか、シャワーを浴びようじゃないか、と思ったちょうどそのときに緊急地震速報のチャイムが鳴った。数日前には群馬で震度5弱の地震があったばかりだが、今度は大阪で震度6だという。じっと身構えてニュースに耳を傾けながら、布団の中で携帯を操作する。Twitterでは世間の状況を把握する前の友人が強い揺れにただただ驚きながらおちゃらけたツイートをするのが流れていた。

時間が経つにつれ、状況が明らかになっていく。コンビニや書店は陳列棚の商品が通路にぶちまけられている。都市ガスは止まった。スーパーの水のコーナーは買い占めでからっぽだ。大阪を走るすべての電車が止まり、地下鉄に至っては駅に入っちゃいけないことになっているという。ライブハウスは「電車も止まってるしとりあえず安全第一で」というふんわりした理由でイベントを中止した。Twitterには「大丈夫ですか」「無事です」という点呼のような投稿や「慌てないで落ち着いて」「無事を祈ります」という無力で優しい言葉が飛び交っていた。

私は、輪に入れずにいた。何を言えばいいか分からなかった。パニックを起こす一歩手前のようなところでぐらぐらしていることを自覚して、タイムラインから意識的に距離を置いた。あのときと似ている、と感じたからだ。

あの日。最初は状況が読めなかったけれど、家に帰ってテレビをつけたらどえらい大きさの真っ黒い津波が繰り返し映されていた。死傷者よりも行方不明者が多くて、それは死傷者以上に悲しみとの距離が近いものだと本能的に理解した。

ここ20年で起きた東西の大震災に比べれば死傷者の数は格段に少ないが、今の時点で3人が亡くなっている。「大事に至らなくてよかった」と言いそうになる口をつぐむ。

小さな不安こそタチが悪い。小さな不安はなかったことにされるけれど、何も手を施さなければどこへも行かない、行けない。7年経ってもだ。

来週、ツアーで大阪へ行く。友人たちはどうしているだろうか。笑いながら迎えてくれるのだろうが、その肩が震えていないことを切に願う。し、震える肩を無理に隠さないでいてほしい。

春と老い

新しい生活になって、何となく3ヶ月が過ぎた。「まだ初めたばかりなんで」という逃げ口上もじきに通用しなくなるのだろう。ひとつの仕事を終え、ひとつの仕事を打ち切られ、またひとつ声がかかり……慣れないなりにたどたどしく個人事業主を続けている。

こんなことを言っては元も子もないが、事業主としての生き方にこだわりはない。いつまで続けるつもりだろう、とさえ思っている。でも、思った以上に違和感はないし、どこかに所属したいという気持ちが驚くほど起きない。自由は孤独だけれど贅沢でもある。誰かと一緒に事を起こすも自由、時が来れば散り散りに別れるもまた自由。温かさと肌寒さが交互に訪れる感覚は季節のようだ、というと格好が付きすぎるだろうか。

退職を決めた時のいくつかの理由のひとつは、冗談でも何でもなく「季節を肌で感じたい」だった。慌てて玄関を出て、オフィスに着けば快適なエアコンの奴隷となり、暗くなるまでこもりきり。変わらない明るさ、変わらない室温、変わらない所作。天気も気温も、風の匂いも分からない10年間は私に何の損害も与えなかったが、同時に何の感動も与えなかった。8年目、9年目の頃に無心で歳時記を買い漁ったのは本能的な「飢え」だったのかもしれない。

今も忙しい日々はあるものの、季節は手に取るように分かる。行き先が日によって違うから、時間に余裕を持って家を出る。近くの小学校の植え込みが変わる。晴れた日は洗濯物を干し、野菜を買いにスーパーへ行く。汗が滲んだら窓を開け、足が冷えたら机の下のストーブに電源を入れる。たまには外食へ行く。期間限定の旬のメニューにつられてみる。

季節の変わり目を感じるとき、ああ、こうして老いていくのかな、とふと思う。

暑さ寒さにいちいち口を挟みながら歳を重ねたい。年寄りくさいと思うだろうか、それは私にとって音楽に耳を傾け舞台を愛でる延長線上にあるものだ。どうせ老いは止まらない。命ある限り、美しいものや愛おしいもの、おもしろいものをめいっぱい堪能して老い衰えたい。

この頃、連れ合いが「野菜が食べたい」としきりに言うようになった。そうでしょうそうでしょう、と野菜炒めをつつきながら小さな老いを感じて、私は泣き笑いのような表情をつくる。

女心と

一時は病院にでも頼らなければ身がもたない、というほど思い詰めたのも束の間、女心とは薄情なもので、仕事に明け暮れたり友人と談笑したりしている間に悩みも随分遠くへ行ってしまった。持つべきものは友、私のための言葉だと思う。

初めのうちは「仕事をしていないと不安」だなんて騒いでいた私だったが、いくらかこの生活に順応してきたのか、今は呑気に桜など見上げている。我が家の近くには小学校があるので桜には事欠かない。朝の爽やかな桜、昼の穏やかな桜、夜の艶やかな桜も良いけれど、ひと仕事終えて見上げた夕暮れの桜も儚さが増してなかなか良い。なんだ、結局いつだって桜は良いんじゃないか。

花粉もしばらくメガネでしのいでいたけれど、この暖かさで症状が出ないということはそろそろ終わりのようだ。幸い、私はスギ花粉症だけなので期間が短い。メガネを外せるのがうれしくて仕方ない。眼鏡は顔の一部です、なんてCMがあったけれど、いかんせん薄顔の私にメガネは存在感が強すぎる。ついぞ今年も顔の一部にはなり得なかった。二軍落ち。

花粉さえも怖くないとなれば、窓を開けよう、空を見よう。所用を済ませ家に帰ると、昨日漬けておいた醤油漬けのイワシと頂き物のビールで、夕暮れ空とこぶしの花に小さな乾杯をする。窓から吹き込む少し冷たい夕風が気持ち良い。かつては目を回すまでが酒だと思い上がっていたが、ほんの少し視点が揺らぐ酔い始めこそ気持ちが良い。身体も冷えてきたし、小瓶もちょうど1本空いた。鼻唄混じりに片付けを始める。

本当に、これが1週間前まで思い詰めていた者の振る舞いとは思えない。我ながら呆れるが、その薄情さこそ私だ、とも思う。

湯を沸かす

悪意のない善行に気を削がれる。

何しろ善行なのだから、止めさせる必要がない。その上悪意がないとなっては責めるわけにもいかない。私が気にしなければ済む、それだけの話。ではあるのだけれど、済んでいれば今頃ここまで悩んではいない。

我慢するにしたって、当面収束の目処は立たないことも分かっている。このまま放っておいてもバッドエンドにしか辿り着かないことだって、既に想像がついている。

やれやれ、これは困った。こんな形で追い詰められるとは思ってもみなかったぞ。

気晴らしに何かくだらないことでもしよう。私は、鶏肉を煮る湯を沸かすことにした。

プリンターの発送準備を終えたら、部屋が随分とすっきりした。やはり私にはプリンターは必要なかったのだ。

友人が転居で処分するというので貧乏性が疼いて引き取ってしまったけれど、普段から印刷なんてしないし、私にはキンコーズという強い味方がいる。インクも譲ってくれたし製造年を見てもまだまだ活躍できる機種ではあるのだが、維持費や消耗品費を考えると私には無用の長物で、プリンターにとっても私にとっても幸せな生活にはならない、と判断した。

「嫌いじゃないけど、別れるのがお互いにとって最善だったんです」「これは前向きな結論なんです」という離婚発表のコメントはこうして生まれるのだな、と思った。喧嘩するほどのもつれもない、勘違いでした、ということに尽きるんじゃないだろうか。まだ結婚もしてないけど。

ヤフオクに出品したら数時間もしないうちに出品時の倍額で貰い手が名乗り出てくれたので、明日宅配便で送ることにした。大きな段ボールはヤマトで買おう。エアーパッキンはうちにある。なぜか。

この数年、ということは30代に入ってからと言い換えてもいいのかもしれない、私は無意識のうちに「必要なものは何か」を問い続けている。すべてのことが取捨選択に結びついている。私自身が本当に大切だと思うものは何か、必要ないものはどれか。必要ないものを抱えていられるほど私の手は大きくないし花の命は長くない。大切なものだけを大切にしたい、という思いが年々強くなっている。

結果、身軽になった。部屋の荷物も減ったし、必要な人しか視界に入らなくなった。場所や立場、関係性にもこだわらなくなった。こんな自分は親元にいた頃には想像もつかないけれど、「道を踏み外している」とか「間違えている」という感覚は不思議と、ない。

繰り返す。必要ないものを抱えていられるほど私の手は大きくないし、花の命は長くない。