2017/03/24

興味本位で知らない人の闘病日記なんて読むもんじゃなかった。その人が亡くなった今、そこまでではないショックを受けている。

そこまでではない、というのは、名前も知らない人の死よりはずっとショックだけど、言葉を交わした仲間内の死よりはショックじゃない、という感じ。ショックなんだけど、「何に対してショックなんだっけ」という行き場のなさが私を空回りさせる。

そうか、うちのお父さんの誕生日に亡くなったのか。お父さんにメールもしなかったな。Facebookには書いたけど、見てくれたかな。

趣味が悪い、まだ闘病日記を開いている。亡くなる3日ほどに最後の日記が更新されているのを見つけた。演出家で台本や原稿にもたくさん触れてきたであろう彼がものすごい数の誤字を連発していて、少し動揺する。意識が朦朧としているのだろう。想像に絶する。

乾ききっている、と繰り返す彼が「生命とは潤いだったのかもしれない」と誤字なく記した。だった、か。私が潤いを求め続けることはつまりそういうことなのか、と合点がいった。

実家に帰って一度話をしたほうがいいな。誰かと一緒に暮らしたほうが生活は豊かになるのだろうか。金銭的にはどうか、心身的にはどうか。死のこととこれから生きていくためのこと。なぜか同時進行で考えている。

死といえば、花見の約束をした。この連想間違ってないよね。

今年は花見ができるだろうか。

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