2017/09/06

庭園を見渡すと、各ベンチに一人ずつ人がいる。暇を持て余す老人かというとそうでもなさそうで、遠巻きに見てどうやら30〜40代の壮年といった印象を受ける。何かを飲み食いしている人と、本か何かを開いている人、あと携帯をいじっている人。最後のは私。
連れ合いはなく、みな一人で座っているが心細さは感じられない。放っておいてほしいとでも言いたそうな、むしろ言い返す気もなさそうなほど個々の世界に入っている。

池には亀が泳いでいる。いつも我が物顔で泳ぎ回る鯉が今日は少ない。客の入りが少ないのを知っているのか。

生垣の向こうにはいくつかのマンションが見える。遠くから車の往来する音が聞こえる。姿は見えない。

鳥の声、魚が身を翻す音、人が歩く砂利の音。虫の声が重なるのが秋の訪れを感じさせる。

雨が落ちてきたら庭園を出よう、そう決めてみたものの、一向に雨は降らない。感傷に浸るには寒さが足りない。

低気圧のせいか今日は朝から随分眠たい。このベンチで横になりたい気持ちをぐっと堪え、仕事に戻る。13時になった。

2017/08/28

倒れていた。疲れというものは溜まるもので、繋ぎとめるのも放出するのも気で保っているのだ、と改めて感じた。国家試験を受け、外国人をカヤックに乗せ、インタビュー取材をし、4時半起きでイベントとツアーをこなした後に深夜イベントで落語のネタおろし。ヤマ場に次ぐヤマ場の1週間を終えての頭痛と吐き気に、とうとう気が途切れたのだと分かった。

昼の仕事を終えるのもからがらで、夜に入れていた仕事も休ませてもらって家で窓を開けて静かに過ごした。いつ眠ったかも覚えていないが、目を開くと目覚まし代わりにセットしていたテレビが喋り始めていた。朝に余裕のある日は本当に気持ちが良い。開けっ放しだった窓からは涼しい風が入る。昨夜途中にしていた仕事を少し片付け、昨夜食べかけにしていた果物の残りを食べ、煮出しのジャスミン茶をポットに作りながら洗濯機を回す。

そうか、今日は月曜日で、今日はまだ8月なのか。気候の肌感覚はずいぶん感じる生活になったが、暦の感覚がまったくない。

いつまでこんな生活を続けるつもりか、日に一度は自分に問いかける。周りが見えなくなるほど走って、力尽きたところで無理やり休みを取る。落ち着いたらまた時間を惜しんで走る。ばかかな、と自分でも思わないではない。

時間になった。まだ本調子ではないが仕事に出掛ける。

2017/07/28

機嫌をとっている。いや、誰のということもなく、自分の。ご機嫌斜めな自分をいかに煽てて持ち直させるか、あの手この手を使ってみている。

ダムが決壊するきっかけなんて些細なことだ。ちょっと注意されただけでむくれる。私にも分がある、いや元はと言えば私が悪い。素直に反省すればよいのだけれど、日々の疲れや他のストレスが運悪く溜まっていたりすると、そうもいかない。普段は隅でおとなしくしているくせに、ここぞとばかり総力戦で攻め込んでくる。

ジュース、炭酸、コーヒー、クッキー、チョコレート。身体に悪いものがおいしい。良くない傾向ではあるが、この際は関係ない。

そうだ、きっとそうだ。向こうも虫の居所が悪かったに違いない。そう言い聞かせつつ、これからどうして暮らしていこうか、と天を仰ぐ。

2017/05/26

「誰かの役に立っている」というのが私の生き甲斐になっている。

それは、一介の会社員でしかないはずの父が「いや〜ヨシザワさんじゃないとだめなんだよね」と言われて仕事をしていた姿を見てきたこともあるし、大学時代のサークルで「使えねえな」と罵倒される同期を3年間見続けてきた(そして実際彼らの尻拭いをしていた、日もあった)ことが素地としてあるのだと思う。

素敵なことだし志を高く持っていられる大切な要素でもあるけれど、やっぱりそれは紙一重ですごくリスキーな考えでもある。期待に応えられなかった、役に立たなかったと気付いた瞬間、居場所も、なけなしの自信も、簡単に消えてなくなる。実際、急に2つか3つの役立たず案件が同時に浮き彫りになって、今、ちょっとしおれている。

個人事業主という自覚を持って生きていけ、というようなことを何度か言われている。自分の値段はいくらか、高くも低くもそれに見合った対等な労働もしくはアウトプットが成立しているか。価値をフラットに判断することと、こまめに記録をつけること。どちらも私の苦手とすることだけれど、どちらも働く上ではとても大切な要素だ。

これまでの私の課外活動も尊重してそうしてくれているわけで、とてもありがたい環境だと思う。チャレンジだなあ。

2017/05/16

この間、紺色のカーディガンを買った。インナーに何を選んでもそれなりに形になるから。カーディガンそのものへの愛着ではないと思うと、カーディガンに申し訳ないような気持ちになる。でも着たかったんだからいいのかな。洋服というものは一体誰のためにあるのだろうか。

正直者がバカを見る、という言葉がある。今日初めて、その言葉を「嫌だなあ」と思った。正義感を求めたかったわけではない、と思う。けど、正直者がバカを見る世界が当然のようにまかり通って、私の周りの正直者が報われないのは、やっぱり、笑っていられない。私の周りには正直者が多い。

きれいな心でありたいと思う。でも、「きれいな心」なんて幻だとも思う。ほどほどの心で構わないけれど、それを何とオーダーしていいか分からない。

どれもばらばらのように思われることだけれど、私の上ではわりと地続きのことのように思われる。ただ、名前がつけられない。

2017/05/09

私は人の目を見ることが苦手だ。目を合わせなくても誰に対して話しているか分かるぐらいの人数、分かるぐらいの年齢差のある家族の中で育ってきたせいかな、と憶測をしてみるがそれはあんまりあてにならない。

がんばって目を見て話そうと思って目を合わせると、その瞬間「カッ」て見開いてくる人が時々いる。たぶんみんなわざとじゃない、とは思うんだけど。何人かいる。なんか今そのことをすごく考えている。

あっごめんなさい、という気持ちになる。端的に言うと怯えるのだ。やっぱり目なんか合わせるんじゃなかった、そんなに訴えたいことはないです黙っておきますハイ、と逃げ出す姿勢を取る。実際には、目を泳がしたり、目を伏せて話すようになる。

相手も目が合ってびっくりしたんじゃないか、と指摘してくれる人がいた。なるほど、そういうことか。薄々私に非があるんじゃないかとは思っていたけれど、そういう理屈なら納得できそうだ。急に目を合わせてごめん。

いろいろ余計なことを考えてしまった。時間の制約がないと人は無用なことばかりぐるぐると考える。抜け出せなくて危ない状態だと思ったので、ヘッドホンをかぶって爆音でGRAPEVINEの曲を繰り返し聴いた。GRAPEVINEを聴いている間は心が鎮まる。パブロフの犬。

落ち着いてきた頃に、つばき一色さんの訃報。たぶんロフトあたりで数回観ていると思う。ラジオで聴いたんだったかCD屋さんで聴いたんだったか、「雨音」という曲にすっかり心を奪われて『あの日の空に踵を鳴らせ』というアルバムだけを何度も何度も繰り返し聴いていた時期があった。ど真ん中にハマったわけではなかったので「良い対バン」としてつばきを観ていた。ああ、もうあの良い対バンに巡り会えないのか、そうか。

フジの志村が亡くなったと知ったときは誰もいない会議室をジャックして後輩とYouTube再生大会をしたな。彼女もこの春、私と同様に退職をし、新しい職場へと羽ばたいていった。今頃この訃報をどう受け止めているだろうか。

ちょうどフジやつばきを観ていた頃の、ライブハウスに通い始めた大学生の頃のことを少し思い出したりもした。大好きだった先輩はバンドのボーカルだったくせに最新の音楽なんか全然興味がなくて、サザンばっかり聴いていた。本当、サザンばーっかり。小さいライブハウスなのにステージで「アリーナ〜」なんて言っていた。

日曜日の明け方、原稿を揃えているときに彼のことをなんとなく思い出していたけれど、やっぱり誕生日だったか。と、ミクシィにわざわざログインして確かめた。家族とケーキを囲んでお祝いをしただろうか。そうだ、家族も増えたのだろうか。何年か前に返事が止まったままだから知らないけど。

女の恋愛は上書き保存だ、なんてうそだ。もっとも、「女の」なんてひとくくりにすればそりゃあ異論反論も出るか。

いろいろ余計なことを考えてしまった。時間の制約がないと人は無用なことばかりぐるぐると考える。の、2周目、終わり。

2017/04/21

行きと同じく、ハノイで一晩トランジット。長丁場なのでミールチケットが欲しい、と言うと今度はすんなりもらえた。行きに学習したおかげだ。ありがとう金井さん、私できたよ。

翌朝、眠い目をこすりながらミールチケットを片手に行きと同じフードコートへ。お姉さんは私を覚えていてくれた。ホットコーヒーとホットドッグ。今度ベトナムに来るときは、街に降りてみたいと思った。

ハノイから再び飛行機に乗り、日本へ。

しかし日本に帰ってみるとすごいな。東京は喪に服しているわけでもないのにみんな黒い服を着ている。あと電車で寝ている人の顔がみんな苦しそう。俯いている。

忘れてしまいそうなことから順番に、書き残してみる。それでも、もう忘れてしまったかもしれない。寂しい。